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2010年11月 アーカイブ

キャリアウーマンのタイプ

「男まさり」という言葉に、「女らしさを越える」というニュアンスがあることは、否定しがたいと思います。


「女らしさ」とは何かという問題には、さまざまな論議があり、それへの肯定・否定の論議もあるのですが、たとえば「男まさり」型のキャリアウーマンのなかには、職場では「おんな言葉」を使わない、と決めている人もいます。


そのことにも賛否はあるでしょうが、ともあれ「女らしさを越える」態度であることは間違いないでしょう。


第一世代のキャリアウーマンのすべてが「男まさり」型ではないし、「男まさり」の仕事ぶりを示す人たちのすべてが「女らしさを越える」態度をとっているわけでもありません。


しかし、職場では「おんな言葉」を使わないというほど厳しく生きている人があり、賛否は別として、そうした「男に負けまい」とする心意気に対し、派遣 千葉で働く人たちのなかにも世代的な共感もあるように見えるのです。


「男まさり」型の第一世代とは違うタイプのキャリアウーマンが増えてきたのは、20数年前からでしょうか。


その人たちを「第に世代」として特徴づけてみれば、「女で有能」ということができるでしょう。


「女で」というのは通俗的な表現ですが、「女性としての魅力」を備えているとか、「ビジネスの世界で、女性であることのマイナス要素」も心得て、冷静に対応しようとしているなど、いくつかの面をふくんでいます。

遣唐使の行方

今日は気になる遣唐使の行方について。


遣唐使は、今沖縄ツアーなどで観光客あふれる沖縄の島にも漂着しています。


吉備真備(695~775)らの乗った三号船は、二号船と前後して12月7日に屋久島に着きました。


しかし、そこを出ると間もなく風に吹き流されて太平洋をさまよい、土佐沖の荒波にもまれつつ年を越し、天平勝宝6年正月に紀伊牟婁の浜に着きました。


吉備真備は阿倍仲麻呂に同行して入唐し、留学生として在唐29年、経史や諸芸を修業しました。


仲麻呂とともに名声をあげて帰朝すると、日本では漢学者、政治家として活躍し、学界政界で重鎮となりました。


やがて東宮学士や右京大夫へと累進し、威権をふるいましたが、藤原仲麻呂(恵美押勝)が勢力を得るようになって、筑前守や、肥前守に左遷されました。


後に正使藤原清河について入唐し、754年に帰朝して、軍事に惇心しました。


やがて、大納言、右大臣と累進し、律令の策定にあたるなどの功績をあげています。


さて、阿倍仲麻呂とともに安南に流された藤原清河は、どうなったのでしょうか。


彼も又、歌人として有名な人物。


彼は安南から長安に帰り、河清と名を改めて、秘書監という役につけてもらいました。


彼は幾度か帰国を思い立ったのですが、安禄山の乱がおこって大陸は物騒になり、旅立ちの機会を失って、終に唐で客死しました。


日本の朝廷は、それより前(女帝孝謙天皇の756年)彼を留守のまま従三位に叙し、常陸守に任じたのでした。

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